浅野圭一当社代表取締役 社長(以下、浅野)メーカーズシャツ鎌倉さんに当社の芯地をご採用いただいて2年ほどになります。従来品からの変更は大きなご決断であったかと思いますが、きっかけや経緯についてお聞かせいただけますでしょうか。
貞末良雄メーカーズシャツ鎌倉取締役会長(以下、貞末会長)東海サーモさんとの協業を考えたのは、当社がニューヨークに初出店するタイミングでした。シャツの着心地を左右するフラシ芯(※表地と接着させない芯地。高度な縫製技術を要するが、身体になじむ襟やカフスを作り出すことができる)は当社にとって、生命線といっても過言ではありません。しかし、原反メーカーが激減しており、国内での調達が困難になりつつあるという現状に加え、私たちは従来品に対して課題を抱えていました。それは、品質を安定させるために、合繊を30%ほど使用していたこと。「綿100%の日本製シャツ」を謳って世界市場に出るからには、たとえ表から見えないパーツであっても、徹底して天然素材にこだわりたいと考え、御社に相談をさせていただきました。
浅野私どもにとって、シャツ芯地分野への参入は念願でした。たまたま先に世界No.1のドイツシャツ専業メーカーともご縁があって、何か運命的なものを感じましたし、大きなチャンスだと考え、同社との共同開発にチャレンジさせていただきました。そうして誕生したのが、綿100%、それも双糸(※単糸を2本撚り合わせた糸。キメが細かく、肌触りが良い)で織り上げたフラシ芯です。
貞末会長東海サーモさんは、当社のパートナー縫製工場さんたちの要望も丁寧に受け止め、改良を重ねてくださいました。完成までに少々時間はかかりましたが、我々の新たなスペシャリティになり、大変満足しています。アパレルに限らず、今後市場の中で勝ち残っていくのは自然に近いもの、よりサスティナブルなものではないでしょうか。その意味で、芯地まで綿100%にこだわった当社のシャツは、海外の方の注目度も高いようです。
浅野「サスティナブル」はこれからの時代に求められるキーワードですね。
さて、日本製品の90~95%が海外縫製と言われる中、御社は一貫して国内縫製にこだわりを持ち続けておられます。その狙いはどのようなところにあるのでしょうか。
貞末会長今、日本のアパレル業界はかつてない不振にあえいでいますが、この問題は、「製品を作ってから売る」という有史以来の事業構造に起因しています。内需が期待できた時代はその方法で良かったのですが、需要が一巡すれば供給過多になり、セールやアウトレットで販売されています。そしてメーカーはコストメリットを求めて、生産拠点を国内から海外へどんどんシフトしていきました。その結果、現状のマーケットの混乱を生んでいるわけです。一方、私たちは1993年の創業以来、生産量と販売量のバランスを適切にし、運送費などの間接コストをできるだけ抑えることで、お客様に高品質なシャツを「納得価格」で提供することに努めてきました。

貞末会長そういうものづくりには細かな生産調整や、以心伝心ともいうべき品質へのこだわりが欠かせず、コスト偏重の海外工場では成し得ません。それからもうひとつ、国内生産を貫く理由は、長い年月をかけて日本の縫製工場が育んできた技術を大切に守っていくべきだという思いもあります。当社は今、国内の14工場とパートナー関係を結んでいますが、創業当時に最も腐心したのは、彼らと信頼関係を築くことでした。1社1社と誠実に向き合い、「本当にいいものを作ろう」と一緒に切磋琢磨してきた結果、鎌倉シャツに愛着を持ってくださるお客様が増え、今日の成長があります。うれしいことに、最近では工場同士の連携もできて、「さらにいいものを作ろう」という機運が生まれているんですよ。
浅野貞末会長のお話に大変共感いたします。実は当社も、生産拠点を国内から海外へ移すべきか悩んだ時期がありました。しかし、長いスパンで会社の経営を見すえたとき、自分たちのアイデンティティである国内生産を捨ててしまったら、もはや存在価値は無くなるのではないかと考え、生産の軸足を日本に置いたメーカーとして生きていく道を選びました。中国での接着芯生産は一部おこなっているものの、現在もさまざまな工夫を凝らしながら、国内一貫生産体制の原則を維持しています。
貞末会長日本のものづくり哲学というのがだんだん希薄になっていて、「“らしきもの”が安く作れるなら、海外生産でもいいのではないか」という考え方が浸透しています。しかし、そのやり方を続けていると、どのメーカーも同じような製品しか作れなくなり、差別化が難しくなるでしょう。私は、これから会社固有の強み、特色がよりシビアに問われる時代が来ると思います。
浅野2012年からアメリカに進出されておられます。手応えはいかがですか。
貞末会長「日本のものづくりの技術を世界に証明したい」という思いでニューヨークのマディソンアベニュー400に店をオープンしたとき、同業者からはクレイジー扱いされました。「こんなハイグレードなシャツを、家賃の高いこんな場所で、こんな低価格で売るなんて」と。しかし、お客様は違いました。「メイド・イン・ジャパンか。よく来てくれた」とおっしゃり、お客様が次のお客様を呼んでくださる、そういう流れができ、まさに口コミで少しずつ知名度を上げていったのです。ブランドはお客様に作っていただくものだと再認識しました。莫大な広告宣伝費を投資して集客するのが当たり前のアメリカにおいて、私たちは異色の存在かもしれません。しかし、急がば回れで、意外とこのやり方が磐石な基盤を作るための近道だったと思います。
▲ニューヨークでは1号店を2002年に、
2号店を2005年にオープン。
浅野当社もグローバル展開に取り組んでいるのですが、なかなか思い描いた通りには進まないのが実情です。メイド・イン・ジャパン品質の製品や技術をもっと世界に広げていくためにはどうしたらよいでしょうか。
貞末会長海外に出てみてわかったのは、「メイド・イン・ジャパン」がひとつのブランドになっているという事実。ただ、日本人はもともと、チームで力を合わせていいものを作っていく、いわば団体戦の文化で、個人戦はあまり得意ではありません。ですから、業種を超えた「メイド・イン・ジャパン」のつながりを作り、団体戦で価値を提案すれば、強さが発揮できるのではないでしょうか。
また、経営という視点で見ると、世界市場で戦っていくためには、さまざまなバックグラウンドを持つ人材が新しいことにどんどんチャレンジしていける企業風土を作ることが欠かせません。当社には職務や形式的な会議がなく、社員は複数のプロジェクトに横断的に関わりながら行動しています。評価の基準はシンプルで、「お客さまのためになっているかどうか」。
もちろん、ディスカッションは常に平等です。2008年から国内だけでなく、ボストン、ロンドン、サンフランシスコ、上海で採用活動を行っていることもあり、そんな当社のスタイルをおもしろいと思ってくれる人材が世界中から集まるようになりました。今では150人の社員のうち、40人が英語をマザー言語として扱えるバイリンガルです。
会社は楽な方へ進むと、強くなりません。私は社員に「どちらに進むか迷った時は困難な道を選ぼう、挑戦しよう」といつも言っています。パートナー工場さんに対してもしかり。2016年12月には、著名なパタンナーの柴山登光先生のお力をお借りし、縫製技術を進化させることで極上の着心地とより豊かな表情を実現した「マンハッタンモデル」という新シリーズを発売しました。メイド・イン・ジャパンのシャツの真価を問う自信作です。しかし、私たちのものづくりに終わりはありません。これからも志を同じくする方々と手を携え、一歩一歩技術を高めながら、よりよい製品を作理、お客様にお届けしていきたいと思います。
浅野本日はありがとうございました。